麻鈴史

APU生のわたしが感じたことを忘れないための覚え書きブログ。コメントお待ちしてます😊

まりん史〜後編〜

前編では、幼少期から中学時代までをお送りしました。

marichako.hatenablog.com

 

ここからは、わたしの人生を大きく変えた中3の夏からのことをお話ししたいと思います。2009年5月。とても運命的に、あるプログラムと出会いました。内閣府主催 アジア青年の家2009です。きっかけは、教室の前の廊下を掃除していた時です。ふと、いつもなら見ることのなかった掲示板の掲示物に目が止まりました。なんだか心がワクワクして、すぐに職員室へ駆け込み、『この資料のコピーをください!!』とお願いをしました。今思えば、わたしがわたしの意思で、自らの行動を直感的に自分の感覚を信じて決めた初めての経験だったのかもしれません。
 
そのプログラムは、沖縄で行われた3週間の内閣府主催の地球環境学習プログラムで、アジア各国から約80名の高校生が集まって色々な環境に関わるスペシャリスト達の話を聞き、未来を明るくするための解決策などについて話し合うというものでした。インターネットでそのプログラムについて調べれば調べるほどどんどん惹かれて、ドキドキして、ワクワクして、キラキラして見えました。しかし、中3の夏。正直、中学の夏期講習も、部活の合宿も3週間行くとなると参加できないかもしれない。しかし、同級生に遅れを取るという不安より新しい世界にチャレンジしたいというワクワクの方が勝ったんです。
 
ただひとつ、気になることがありました。対象者:英検二級レベル取得者であり、高校1年生から高校3年生(中学校3年生も可)という一文。お。対象者は高校生!?!?中3も可、、、?しかし、迷いはありませんでした。できる限りの準備をして、深夜まで志望理由書を書き直して、中学校の先生にたくさん添削していただきました。結果は合格。参加してみたらびっくり仰天。なんとわたしは最年少参加者でしかも中学生はたった1人😭 レベルの高いアジア各国の高校生と日本人のお兄さんお姉さんたちに囲まれた慣れない英語漬けの環境に毎日悔し涙。理由は、参加していた日本人高校生があまりにも素敵で、あまりにも英語が話せて、あまりにもかっこよかったから。1年後、わたしは今のままでこんな風になれるのか、いや、なれないだろう。そんな考えが頭をぐるぐるしていました。
そんな時にふと、行きのJALの機内誌で見たスイス公文学園の広告を思い出しました。更に、小さい頃から公文をやっていて、4年生の時に高校からスイス公文学園にいくか、中学受験をするか、と母に選択肢をもらっていたことを思い出しました。そこからはもう無我夢中です。母に電話し資料請求をお願いしました。
 
正直、中高一貫に通っていたわたしには他の高校に行くなんてそんな発想はその時までなかったです。だけど、参加者のみんなから、『中3で今進路を変えられる、この体験をしたあとに選ぶことができる、そんな時期にいるまりんが羨ましい』と。みんなが背中を押してくれました。大好きな鹿嶋を離れることに不思議と迷いがなかったのはみんな声があったからだと思います。
 
そして高1で親元を離れ、スイスの山奥での寮生活がスタートしました。本当に素敵な同期と、優しい先輩たちに囲まれて幸せすぎる、退屈知らずの毎日です。大好きな音楽も続けられる環境で、毎年ミュージカルのオーケストラ、世界音楽祭などに参加しそこでもまたたくさんの出会いがありました。休みの度に訪れたヨーロッパの都市の数々。友人たちと過ごす週末。高校生にしては多すぎる課題たち。今思うともう全てが、何もかもが愛おしい。この歳で思い出して胸がきゅんとするたくさんの場面に出会えていることに感謝しかありません。しかし、渦中にいた私はきっと苦しかったと思います。
 
中3の夏の出会いがなかったらわたしはあんなにも素敵な毎日に出会えなかった。あの経験をせずに歩む自分の人生はもう想像できない。それくらいに刺激的で有意義で、優しくて暖かくて。そんな毎日でした。全てをやりきったおかげか、退寮の時には涙が出なかった。ほんとに悲しかったし、寂しかったのに、不思議と涙は出なくて、晴れ晴れとしていたのを覚えています。今でも同期や先輩たちの活躍を聞くと、負けてられないと奮い立たされます。そんな仲間に出会えたこと、とても嬉しく思います。
 
12年生の冬に、今の大学のオフィスの方との出会いがあり、立命館アジア太平洋大学へ進むことを決めます。正直なところ、またまた直感です。でも、わたしの直感はいつも根拠のある直感。自分がそこにいて楽しんでいる絵が想像できる直感。ここだ!!!と思いました。ここ以外にないと。そこからは、またまた行動あるのみ。そして、2013年秋、念願のAPUに入学しました。
 
大学でのわたしは、GASS(オープンキャンパスのスタッフ)やTAなどをするチャンスをいただいています。地道にコツコツ、誰かのために時間を割くことがこんなにも好きなんだと日々、痛感させられていました。そして、決めた交換留学。しっかり苦手克服しようと、経営学に強い大学を選ぼうとSingapore Management University を選びました。日々奮闘。正直、きついです。でも、辛いだけじゃない。だから、ちゃんと最後までやろうと思います。
 
シンガポールでの生活についてはまた今度!とにかく長くなりましたが、まりん史後編これにて終了となります。怒涛のめまぐるしい人生ですが、これはこれで結構楽しいです。泣いていることも多いですが、笑っていることの方がずっと多い人生です。次の壁は就活。的を絞って準備万端で挑みたいと思います。
 
またね!